茹ですぎ注意
メインブログが書けなくなって久しい。「書けない」というのはパスワードを忘れたわけでもキーボードが壊れたわけでもなく、文字通り書いては消してを繰り返し結局書き上げることができず下書きに単語の羅列が蓄積される状態のことを指します。
ごめん嘘ついた。書いて消すのは数百日に一度あるかないかで、1年の大半を書きたいんだけどなあと思いながら編集場面すら開かない日の方が多い。
どうしてこうなってしまったのか。理由は2つ。
①己の幼稚な思考を言語化するのが耐え難いから。
自分の書いた文章を読むとああ私の書いた文章だなと思うじゃないですか。なんかどうしようもないなとなってしまう。自分から生まれ落ちた物、醜く滑稽だなと時々ひどく思う。
反論→そこまで自分を卑下しなくてもいいと思うよ。そうは言っても結局書きたい気持ちに苦しんでいるんだからお前はもう書くしかない。
②周りの考察力の強さに打ちのめされてしまうから。
例えば舞台や映像作品を見てとある登場人物が走っているシーンについて考える時、私は「あの走ってるシーンが良かった。なんか爽やかで」と物事を表面的にしか捉えられない。だが、他人の感想を読むと走っているシーンの背景に映っているものやライティングの加減について言及しており、他人の着眼点の凄さに感心すると同時に自分の視野の狭さに落胆してしまう。
反論→他人と比べる前にまずは自分の感想を書き上げて!空を見て青いなって思うことの何が悪いの?視野が狭いなら狭いなりの景色を書けばいい。思いは言葉に残さないと忘れてしまうよ!お金を払って見た物について何も言葉に残さないのもったいなくない?
そうだよね!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(視界が開けていく音)
なんか今自分の中のポジティブがネガティブを上回りました。そしたらね、書くしかなくない?
というわけで、書くリハビリがしたいと思いサブブログをよいこらせと立ち上げました。内容は主に日記です。洗濯したとかしなかったとかご飯についてダラダラ書きます。巧いこと言おうとか考えずにまずは編集画面を開いてなにかしら書いて公開ボタンを押す習慣を癖づけるために、何より過去の自分があの時どんなくだらないことを考えていたのか知るために始めようと思います。
ブログタイトルの「のぼせたもちにきなこをまぶして」というのは、私が餅なら文章を思いついて書いていく工程はきなこを付ける段階だなと思って付けました。
メインブログの「どこかに行った、何かを見た感想」がお皿に盛りつけたきな粉餅だと仮定したら、こっちは見栄えを気にしない状態と言いますか。
きな粉餅って大まかに
①茹でて柔らかくする
②きな粉を塗す(まぶすって漢字で塗すって書くのか…)
③皿に盛り付ける
の3工程に分かれるじゃないですか。
頭の中で言葉が浮かんでは消えてぐるぐるしてる状態がお湯で茹でている最中の餅。
PCやスマホでカタカタ文章を打つ状態が茹でた餅を転がしてきな粉を付ける作業。
推敲にあたるのが付けすぎたきな粉の量を調整するためにいったん箸で餅を持ち上げて上下に振ってから皿に盛る作業。
と考えるとここは別に②止まりで良い。というか茹ですぎてクタクタのベチャベチャな餅(下書きで眠ったままの文章)にならないために適度な柔らかさで素早くきな粉にダイブさせて餅全体にきな粉(言葉)を行き渡らせようねって話。中にはおいコラきな粉少なすぎるだろもっとまぶせやって時もあれば逆にきな粉多すぎもっと減らして!って状態の餅が出荷されることもあるだろうよ。でもね、立派なきな粉餅職人になる(メインブログ書くための精神状態)ためにはコンスタントに餅を作り続けるトライ&エラー精神が大事ってワケ。分かりましたか?
はい……(自問自答)
ハハハ、まさか小学校の頃国語の授業で俳句を習った時に、作った俳句が学級新聞に載るから誰が作ったか知られたくなかったらペンネーム考えといてねと先生に言われるも全く何も思いつかないからその日の朝ごはんのメインだった「きなこもち」と書いて提出したことがここまで発展するとは自分でも思わなかった。大事にしたいねこのヲタクホーリーネーム。